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(2001/01/19)


1857(安政4年) 幕臣山岡精次郎・永田久蔵発寒に移住。
1858(安政5年) 今の山の手地区付近で早山清太郎が石狩平野では初の米作に成功。
1867(慶応3年) 陸中(現在の岩手県)の人・中田儀衛門らが発寒に移住。
1869(明治2年) 蝦夷地を北海道と改称、札幌本府建設始まる。
1871(明治4年) 越後から森三吉ら五戸がベッカウス(今の西野二股付近)に移住。
山鼻から八軒・十二軒(山の手付近)・二十四軒に開拓者が移り住んだ。
1872(明治5年) 白石藩士47戸241人が宮の沢に移住。時習館(手稲東小の前身)を創設。
1874(明治7年) 屯田兵例則が制定。琴似に屯田兵屋208戸が完成。
1875(明治8年) 最初の屯田兵198戸・965人が琴似に移住。 本の紹介「蘇る栄光」
1876(明治9年) 発寒に屯田兵32戸が移住。
1877(明治10年) 屯田兵大1代隊、西南の役に出征。官立小学校(琴似小学校の前身)開校。
1880(明治13年) 手宮〜札幌間鉄道開通。
1882(明治15年) 廃使置県により北海道は札幌・函館・根室の三県となる。発寒村が琴似村に
合併。手稲は上手稲・下手稲・山口の大字三村となる。
1884(明治17年) 前鼻村七ら広島県人が現在の西野第2地区付近に移住(広島開墾と呼ばれる)。春木屋孝造ら山口県人が現在の平和地区に移住。
1886(明治19年) 三県が廃止され、北海道庁がおかれる。
伊藤太治兵衛ら福井県人が現在の福井地区に移住。
1897(明治30年) 琴似屯田兵の「記念碑」が屯田共同作業場用地内に建立された。
琴似に巡査駐在所ができた。
1900(明治33年) 屯田兵募集が中止される。
1902(明治35年) 手稲村に二級町村制が施行。琴似郵便局ができる。
1904(明治37年) 屯田兵条例廃止。
1906(明治39年) 琴似村に二級町村制が施行。
1915(大正4年) 琴似に初めて電灯がつく。
1920(大正9年) 琴似村役場の移転新築が完成した。
1923(大正12年) 琴似村に一級町村制が施行。
1924(大正13年) 琴似兵村50年記念会が結成された。
50年記念塔及び記念館が完成した。「琴似兵村誌」が刊行された。
1929(昭和4年) 札幌乗合自動車会社パスが琴似に入った。
1934(昭和9年) 札幌・小樽間に国鉄パスが開通。
1940(昭和15年) 陸軍屯田兵第1大隊第1中隊本部跡が建てられた。
1942(昭和17年) 琴似村が町制施行し、琴似町となる。
手稲村では大字(上手稲、下手稲、山口)を廃止し十二字区(西野、平和、
宮の沢など)を定める。
1951(昭和26年) 手稲村が町制施行し、手稲町となる。
1955(昭和30年) 琴似町、札幌市と合併。琴似駅前大火。
1964(昭和39年) 屯田兵屋を琴似神社境内に移設復元(文化財に指定された)。
手稲記念館がオープン。
1972(昭和47年) 札幌市が政令指定都市となり、区制施行。
西区役所が開設。
1976(昭和51年) 市営地下鉄東西線(琴似〜白石)が開通。
1986(昭和61年) 国鉄(現JR)函館本線に発寒駅・発寒中央駅が開業。
1988(昭和63年) JR函館本線・札沼線の鉄道高架が完成。八軒駅が開業。
1989(平成元年) 西区から手稲区が分区。
1990(平成2年) 区の個性ある街づくり事業始まる。(琴似発寒川の水辺広場整備等)
1993(平成5年) 農試公園に、市内初の全天候型スポーツ施設として、
農試公園屋内広場(ツインキャップ)が完成。
1995(平成7年) 屯田兵開基120周年・記念式典、慰霊祭、記念行事が催された。
(「屯田の森」整備完了〉シンボルゾーン内に開拓のモニュメントが設置された。

資料提供 : 琴似屯田歴史資料館

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